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アラビア語“塾”語学研修10日間 to オマーン ~ 第7日目 2007年9月20日(木)

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アラビア語“塾”語学研修10日間 to オマーン ~ 第7日目 2007年9月20日(木)

この日はまず、「バナナの池」によく似た村を崖の上から見ました。ここの土は保水性があるため、住民は石榴などの果物で収入を得て豊かに暮らしているそうです。

次に、小砦のような立派な灌漑施設を訪れました。中には入れませんでしたが、施設からは用水路が延びていて、夫婦か兄妹とおもわれる地元の男女がペットボトルで水を汲んでいました。
男性は、この水が如何に素晴らしいかをきれいな英語で誇らしそうに語っていました。隊長と私は試飲(何の問題もありませんでした)。村の名前も灌漑施設の名前も忘れました。
それにしても、この国に来ていくつの小緑地帯や灌漑施設を見学したことでしょう。日本に帰って「緑と水を見てきた」と人に話したら、「…?」という反応しか得られないでしょう。ここに緑と水があることの重みは、照りつける太陽と渇きの中で実感するしかありません。

ジャブリン城は、17世紀末から18世紀初に栄えた王朝のイマーム(ニズワ城を建設したイマームの息子さんだそうです)によって1670年頃に建設された砦です。砦といっても、防衛施設というよりはイマームの居城であったらしく、天井や壁には凝った彩色や木彫が施され、涼しげなパティオや木造のバルコニーなどもあってなかなか優雅です。

ここは学問の中心でもあったとのことで、アラビア語 (ウスターズ、不必要に何度も繰り返す)等の学習室がいくつも設けられていました。
小さな礼拝所や、城を建設したイマームの墓所もあります(骨肉の争いで命を落とされたとか)。
面白かったのはナツメヤシの貯蔵所です。積み上げたナツメヤシから流れてくる蜜を受け止めるため、石の台に溝と流出口が掘られています。アラブのナツメヤシは永遠不滅です。

寡黙なジャミールさんの背中を追って小高い丘を昇りきると、抜けるような青空を背景に2~3メートル位の赤茶色のドームが一列に並んでいるのが見えてきました。アルアインの古墳群です。
3000年も前に、こんな厳しい気候の中で文化水準の高い共同体が営まれていたのです。一体どんな人生がここに葬られたのでしょう。
程近いバットでは、やはり赤茶色の石造りの大きな建造物を見ました。フェンスで囲われていてよくわかりませんでしたが、住居跡でしょうか。
この周辺では、多数の墳墓に加え、遠くから水を引いていたと思われる灌漑施設の跡も発見されているそうです。アルアイン、バット、及び周辺の遺跡群は1988年にユネスコの世界遺産に登録されています。

バット近傍のナツメヤシの林の中でお弁当を食べました。ジャミールさんと運転手さんたちはお祈りに出かけました。この暑さの中で飲まず食わずの仕事はさぞ辛いでしょう。
一昨日は食べ物を粗末にして少し恥ずかしい思いをしたので、今日は手をつけなかったものは綺麗にまとめてジャミールさん達に託し、必要としている人に渡していただくことにしました。

バスラ城はどっしりと安定感があって、シンプルな曲線が優美な砦でした。イスラム化以前の13~14世紀に建造されたオマーン最古の砦です。
砂岩の土台の上に日干し煉瓦で築かれ、周辺地域を一部取り込むかたちで12キロにわたり万里の長城風の塀が築かれていた模様です。1987年にユネスコの世界遺産に登録されるまで荒れるに任されていたとのことです。
修復作業中のため内部は公開されていませんでしたが、高台から全容を目に収めることが出来ました。「これほど大きいとは…」とウスターズ絶句。

人は何故か廃墟に心惹かれるものです。人の世の儚さを目の当たりにして、個としての命の儚さを受容する気持ちになれるからかもしれません。
ニズワの手前20キロに位置するタヌフの廃村にもそのような魅力があります。でも、ここは数千年でも数百年でもなく、僅か半世紀前に廃墟になった村です。
英国の湖水地方を思わせるような家並みや清潔で豊かな暮らし振りが偲ばれる灌漑施設は、崩れて打ち捨てられてはいても考古学的発掘の所産ではありません。
「英国に空爆されて滅んだ村」というジャミールさんの説明では何が起こったのか理解できなかったので、帰国後に少し調べてみました。

オマーンは、1970年までMuscat and Omanと呼ばれていたことからも分かるように、歴史的にMuscatを中心とする沿岸部と、本来のOmanである内陸部に明確に分かれ、20世紀に入っても、前者はスルタンの統治の下で商業や漁業を営む開放的な社会を、後者はイマームや領主を中心とする保守的な部族社会を形成していた模様です。
両者の間にはしばしば紛争がありましたが、1920年にSeeb条約なるものが締結され、スルタンの優越性と外交権が確認される一方、内陸部には限定的な自治権が認められ、以後30年間は平和が保たれました。
1950年代に入って、スルタンが英国系の石油会社に内陸部の油田掘削を認めたことから両者の対立が再燃します。
この時、英国政府は、自国の石油利権を確保するため、かつ第二次世界大戦以来オマーン領土内に基地を置くことを認めてもらっている恩義を返すためにスルタンに肩入れし、ニズワからジェベル・アクダールを舞台とする内線に荷担したのです。他方、内陸部側はサウジアラビアの支援を受けていた模様です。
内戦は1959年まで続きましたが、多少土地感のできた私達は、臨場感をもってこの間の経緯を追うことができます。
1957年8月、最強の砦ニズワ城を落とすために二方向からアプローチしたスルタン軍は、あの「バナナの池」で合流しています。
イマームは、寝室の床のあの脱出口を通って逃げたのでしょうか。タヌフの村がどの時点で滅んだのかはいまひとつはっきりしませんでしたが、タヌフがスルタン軍の手に落ちたのは1958年10月です。
余談ですが、当時のタヌフの領主殿は古風な専制君主で、しばしば所謂「初夜権」を行使していたとのことです(「ブー!」)。この御仁を含め、内陸部指導者達はサウジアラビアに亡命しました。
因みに、この内戦が展開されていた頃、ウスターズと私は既にこの世に生を受けていました。

おまけ ~ ニズワの虫

21日にニズワのスークで家畜のせりを見ていた時のこと。
左足の靴下の中に何か入ったのを感じましたが、「いつもの吸血鬼だろう」と思って気にとめませんでした。普段から血を吸う虫に好かれるたちで、大勢人がいても蚊は必ず私のところに来るのです。
1時間くらいたつと、予想に反して痒くなる代わりに痛くなってきましたが、「虻だったのかしら」と思いつつ放っておきました。
ホテルに帰って靴下を脱いで見ると、膝の下のあたりに瘤の様な大きな隆起が生じていました。押すと痛い!その後、瘤は次第に紫色に変色し、紫色は周辺に広がってゆきました。
家に帰り着いた頃には足首まで紫色になって、まるで悪趣味なハイソックスをはいているようです。さすがに気味が悪くなってきて、「もしやエイリアンみたいな変な生物が私の体内で増殖しているのでは」という妄想が沸いてきました。
そこで、職場の診療所に出頭し、事情を説明。先生は瘤を眺めたり押したりした挙句、「多分この瘤は血でしょう。中で大量出血し、それが足首まで降りているものと思われます」と診断を下されました。先生は注射器で瘤から血を抜き取り、更に指で瘤を押しまくってガーゼ2枚が真っ赤になるまで血を押し出してくださいました。治療は以上で終了。
足の色が正常に戻るまで数ヶ月かかるそうです。犯人がどの様な虫だったのかは見当もつかないとのことです。
しかし、私は未だに奇虫体内増殖説を捨てきれないでいます。私の体内に巣食うニズワの虫が里帰りしたくなったとき、私は夢遊病者のようにオマーンに向かうかも知れません。
(文責:バティールさん)

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