塾生 in Arab シリア
【2010.12.24】
シリア人の10~20%がキリスト教徒と言われています。75~85%がイスラーム教徒。ユダヤ教徒もいるということです。
シリアのイスラームはとてもゆるやかだと聞いていました。
確かに、ぎちぎちのイスラームだったサウジアラビアから来ると、シリアのそれは、とてもゆるやかに感じます。
でも、その話を聞いて想像していたより、髪の毛をスカーフで覆っている女性はずっと多かったです。大多数の人がスカーフを被っていると言っていいのではないかと思います。
イスラーム教徒の女性すべてが髪の毛を覆っているわけではないし、キリスト教徒だからスカーフを被っていない、というのでもないように見受けられます。
髪の毛を覆っている人の服装は、身体の線を隠す人、隠さない人、様々ですが、顔と手以外に肌を出している人はいません。
パンツかロングスカート、若い人はジーンズが圧倒的に多いです。ロングスカートの場合、足首を出している場合がありますが、それも稀だし、もちろん素足ではありません。
一度だけ、髪の毛を覆っていて、半袖、セミロングのワンピース姿の若い女性を見ました。
スカーフを被っている人に比率が、キリスト教地区へ行くと逆転します。
服装もちょっと違う雰囲気になりますが、それでも足を出している人を見ることはありませんでした。
“عباءة(アバヤ):身体を被うガウンのような上着)”は一般的ではありません。アバヤに “خهاب(へジャーブ):頭を被うスカーフ”姿の人もいますが、その多くは湾岸やイランの人ではないかなと思っています。
アバヤにあたるものにロングコートがあります。
足首がすっかり隠れる裾の長いコートで前ボタンをきっちりとして、ベルトがついていれば、それをビシッと絞めています。
今の季節ならちょうどいい感じですが、夏にこの格好はとても暑そうで、見ている方が苦しくなってくるほどでした。着ている本人はどんな感じなのでしょうか。
夏の間だけアバヤにしたら楽なのにと思うのは、異教徒、よそ者の浅はかな考えでしょう。
前述のように、髪の毛を覆っていない人が皆キリスト教徒かどうかはわかりません。
ただ、露出度の高い服装の人の場合はイスラーム教徒ではないだろうと思っていますが、本当のところはわかりません。
ノースリープ、タンクトップ、キャミソール(カットソーというのでしょうか?ファッションに疎くて…)、豊満な胸の谷間もあらわで、こちらがドキッとして赤くなってしまうような服装の人もいます。
そんな人たちでも、足を出していることはありません。短いスカートも売っていますが、はいている人を見たことがありません。
家の中でとか、あのコートの下に着ていたりするのでしょうか?
短い滞在期間、狭い行動範囲で、なんとも言えないのですが、服装については、地域によって、ある一定の傾向があるように思えます。
コート姿の多いところ、保守的な感じところ、開放的なところ、肌の露出度が高いことを気にしない(変な表現かしら)ところなど。
【2010.12.14】
「雨乞いの効果」で、雨は昨日の夜(12日23時)に止んだようだと言いましたが、日付が変わったころ、また降り始め、朝まで降っていました。8時には小降りになり、9時には青空が広がりました。
夜中降った雨のためと、気温が下がらなかった(たぶん3度よりは下がらなかったかと)ために、道路の凍結はなかったようです。
すっきりとした1日が始まりました。カシオン山が雪化粧をし、きれいになりました。
昨日は雨が小降りになったところ(20時ごろ)で、好奇心が目を覚まし、外に探検に出かけました。
商店街も商店街まで行く道もわき道もほぼ真っ暗。開いていたのは、ファストフードのお店やおしゃれなレストランと姉妹店のカフェなど数軒のみ。ぽつんぽつんと温かい明かりが見えました。
いつもは、どの店も22時ごろまで開いていて、夏ほどの賑わいはなくなったものの、それでも人通りが絶えず、活気があるのに。
この雨と雪で、どこも早仕舞してしまったのです。
開けていても商売にはなりませんよね。もう少し早く来てみればよかったと後悔しました。
何時ごろまで店は開いていたのか、半分露天のような店がけっこうあるのですが、どうしていたのか、行きつけの八百屋さんはどうしたかなと心配でもありました。
融けかけのカキ氷の上を歩いているようなもので、足がびんびんに冷えました。
あまりの冷たさに、店頭でシュワルマを販売していて、2階がサンドウィッチなど軽食を提供しているファストフード店で一休み。
窓際に座って、下を見ていると、車でシュワルマを買いに来た家族が、待っている間に雪合戦を始めました。
あんなピ チョピチョの雪、それも素手で・・・見ているだけで手が痛くなっちゃいました。
大きな雨だれの音に悩まされた2日間です。
土砂降りや雪融け水のせいと自分を納得させていましたが、どうもそれだけではなさそうでした。
今日(13日)の朝などは、ずっと小降りが続き、もう雪も融けたようなのに、まさにだらだらと垂れるように落ちてきて、ボッタボッタと音がするのです。屋上が問題でした。
雨が止んでしばらくすると、上の方が騒がしくなり、屋上で何かしているようでした。
屋上は、我が家の場合だと、縁というか回りが20cmくらい高くなっていて、柵はありません。
排水口にゴミなどがつまっていて、水がよく流れず溜まってしまったようなのです。つまり、浅いプール状態です。水が満杯になり、お風呂の水があふれるように流れ出したというわけです。
それが大きな雨だれの音を作り出していたようです。こういう状態の屋上は、ここだけではないような気がします。
知り合いの家(最上階)では雨漏りで大変だったそうです。
その家の雨漏りの原因は聞いていませんが、屋上がそのような状態だったことから考えると、我が家の上の家(最上階)も雨漏りしたのかも知れませんね。
今夜遅く、また雨が降り始めました。雨だれの音は静かです。
左の写真で、前を走っている車に「土井紅葉園」と書いてあります。お察しことと思いますが、その造園業者がシリアにあるのではなく、日本からの中古車です。そのまま使っているのですね。
【2010.12.13】
昨日(12月11日)は、朝方からゴロゴロと、歌舞伎の下座音楽のような雷がずーっと絶え間なく鳴っていましたが、8時くらいになって、急に元気がよくなり、大きな音がしたと思ったら、バシャバシャと土砂降りの雨となりました。
15時を過ぎて、一旦止みましたが、夕方6時ごろから1時間ばかり、強い雨と風に見舞われました。
昼間でも10度がやっと、寒い1日でした。
雨のせいか、電気の状態が不安定で、「停電しては、ほどなくして点く」を繰り返していましたが、どうやら、昼間だけで済んで、夜は大丈夫でした。
たまに停電はありますので、ろうそくはいつでも点けられるようにはなっています。
夜23時過ぎにまた強い雨が降り出し、「これからしばらくはこんな天気が続くよ」と言われました。
雨は翌日(今日)の朝まで、強い風とともにずっと降り続けました。
窓が木枠の我が家は、あちこちからガタガタざわざわという音が聞こえてきて、どこかに人がいるのかと思えるほどで、気味が悪かったです。
また、グヮッタンという音に、ひょっとして窓が開いてしまったのかと、おそるおそる起き出して見に行ったりしました。
隣の敷地内にある物置みたい(何なのかはっきりはわからない)な2階建の建物のトタン屋根に雨の当たる音が、クワーンクワーンと反響して鳴り続け、耳よりは頭の芯に響く感じで、そんなこんなで、とうとう眠れませんでした。
今朝の気温は3~5度。昨日の8時には雨が降り始めましたが、今日の8時には雪が降り始めました。
うれしくて、眠気もすっ飛びました。
水気の多そうなボタボタとした大粒の雪が、11時ころにはみぞれに変わり、シャーベット状態。それが雨になり、14時を過ぎたころ、雨音が小さくなったなと思ったら、また雪になっていました。
朝の雪よりもふわふわしていて紙吹雪のようでした。5cmくらいは積もったでしょうか。17時前にはまた雨に。氷雨です。
20時ごろにやっと小降りになり、そろそろ止みそうな気配。今日は気温も上がりませんでした。
23時、どうやら止んだようです。道路は融けた雪でびじょびじょです。明日は凍結しそうです。
ジェットコースター顔負けの急降下で夏から冬に。雨乞いの効果は絶大でしたね…効果ありすぎ?
水源地である山の方にもたくさん降っているといいのですが。それにしても、絶妙のタイミングでした。
【2010.12.12】
「待望の雨」(12/7)の中で話に出た、雨乞いの真相(といえるかな)です。
雨が降った日に、「数日前に、大統領が雨乞いをするようにと命じた」という話を耳にし、すぐに新聞を見てみましたが、私が見たその日の2紙には何も載っていなくて、どういうことだったのだろう?と思いつつ、あの話は書きました。
「真偽のほど」に関しては、真だったと言ってよいのではないかと思います。
あるシリア人(イスラーム教徒)に訊いてみましたが、
「イスラーム教徒に対して、『“جمعة(ジュムア):金曜日”の礼拝で雨を願って祈るように』との大統領(バッシャール・アサド)命が出たので、自分も金曜日(12月6日)に祈った。」のだそうです。
“قرآن (クルアーン):コーラン”の“سورة(スウラ):章”の名前に、直接、水を示すものはありませんが、章のどれかに、雨か水に関する祈りとなる文言があるのだろうと思います。
ちょっと見てみましたが、よくわかりません。わかったら、またお知らせします。
12月3日の金曜日には、イスラーム教徒の人たちは、“جامع(ジャーミウ)、مسجد(マスジド):いずれもモスクのこと”、あるいは家庭でそのお祈りをしたのでしょうね。
国民の15~20%というキリスト教徒には、何も呼びかけなかったのでしょうか? 「国民の皆さん」とは言わなかったのでしょうか?
自分で直接そのニュースを聞いていないのが、残念です。
このことで、自分が八百万の神の国で生まれ育った人間であることを、痛切に感じました。
「雨乞い」と聞いて、ぱっと頭に浮かんだのは、天に向かって、神様、雨を降らせてくださいとお願いすること、それに伴う神主が行う儀式や土着の儀式です。
キリスト教徒も多いし、ユダヤ教徒もいる、イスラーム教の諸派(党派というのか教派というのか)も多いこの国で、いったいどんなことをしたのだろうと、想像力が膨らんでしまって、それを不思議と思わなかったのです。
イスラーム教もキリスト教もユダヤ教も一神教です。
イスラーム教徒の人たちは唯一神アッラーにしか祈らないこと、カアバ神殿に向かってしか祈らないこと、重々わかっているはずだったのに…(一部、お祈りする方向がカアバ神殿でない派もあります。)。
【2010.12.11】
夏、よく行く商店街に出ていた屋台は、ヒンディ屋と焼きトウモロコシ屋でした。
ヒンディとは、うちわサボテンの縁になる実で、細かいトゲがあるので、皮をむいたものを売っています。トレーに数個ずつのせて並べてありましたが、1個から買えるようでした。
11月に来てみると、ヒンディは姿を消し、代わりに焼き栗が登場していました。焼きトウモロコシは健在で、焼き栗は焼きトウモロコシ屋で売っています。トウモロコシは1年中あるのでしょうか、日本のとは種類が違うのでしょうね。
焼き栗は一度食べてみました。ちょっと硬めですが、味が濃い感じでおいしかったです。生の栗は八百屋ではなく、ナッツ屋で売っています。
茹でてみましたが、茹でても、硬く、こりこりした感じで、私 は日本では茹で栗を半分に切って、スプーンですくって食べるのですが、それはうまくできませんでした。焼き栗だから、実が硬くなったのではなく、元々硬いのですね。味はいいのですよ。
栗はもうそろそろ終わりではないかと思います。
前に、渓谷にある“マアルーラ”という町に行ったと言いましたが、全体としては岩山なのですが、栗の木の林(畑)にしてあるところがあり、それが紅葉していて、とてもきれいでした。
日本の紅葉とは比べようもありませんが、それでも、ここで紅葉が見られるとは思ってもいなかったので、感激しました。
ヒンディを売っていた人たちは、どうしているのでしょうか。
同じ場所で煮豆屋になっているところがあります。だいたいの人が、夏はヒンディ、秋冬は煮豆で商売をしているもかも知れません。
煮豆とは、煮豆と言っていのかどうかわかりません(名前を知りません)が、黄色くて平たい、直径1cmほど(茹であがり)の豆に香辛料を好みでかけて食べるものです。煮豆というと甘いものを想像されるのではないかと思いますが、塩味です。
旧市街に出ていた屋台は、“トゥト:桑の実”のジュース屋でしたが、これは“ルンマーン:ザクロ”のジュースに代わりました。
夏は、夕方でもこげそうに暑かったダマスカス。屋台のそばを通るとそそられましたが、試す勇気はありませんでした。
トゥトもザクロも、ジューススタンドにも置いてあります。でも、ジューススタンドに行くと、つい“グレフォン:グレープフルーツ”になってしまって。
トゥトは、今だと生のものはありませんので、シロップ漬けを使うのでしょうね。
そのうち、ザクロをジューススタンドで試してみましょう。種がいっぱいあるでしょ。どうやって絞るのでしょう。味はどんなでしょう。
【2010.12.8】
我が家のある建物に限らず、この辺の古い建物には、もともとエレベーターはありません。日本の昔の団地にエレベーターがないのと同じです。
そこで活躍しているのが、既存の建物の外側に後から付ける簡易型エレベーターです。私が勝手につけた名前です。
日本にもあるのかしら?近所で、何軒がついているところがありますし、工事中のところもあります。
乗ったことはありません。
主人の話では、2人乗ればいっぱいとのこと。材質等、詳しいことはわかりませんが、半透明の黒か茶色、白っぽいのもあります。
その煙突みたいなものを、建物の外壁に付けるのです。
エレベーターのドアは、各階にスペースがあればそこの壁を、または階段の踊り場(その場合は階段の半分は自力で昇降する ことになる)の壁をくり抜いて作ります。工事中は、各階の壁に無造作に穴があいているので怖いようです。
金額はどれくらいなのか知りませんが、需要は大きいでしょうね。きっと、これからどんどん増えると思います。
うちの建物もつけてくれないかしら。上の階の家族(前にお話した赤ちゃんとまだ2~3歳の子供、父母の4人家族)のためにも。
でも、そうすると家賃が高くなってしまうのでしょうね。それは困ります。
と、前回7月にここまで書きました。
今回来てみると、上の階の子供のいる家族は引っ越してしまって、もういませんでした。
しかし、我が家の真下に住んでいるかなり年配の女性のためにも、エレベーターはなおのこと必要と思いました。
年配の女性とは、「シャッカ」の話に出てき「我が家の真下のきれいな家」に住んでいる人です。
その人に初めて会ったのは階段です。買い物から戻って階段を上って行くと、その人が下りてくるところでした。
自分の住んでいる階からまだ半分も下りていないのに、ゼイゼイと息を切らしていました。
その荒い息の中から、私に「どこに住んでいるの?上?真上なの?」などと話しかけてきて、「今度、遊びにいらっしゃい」と言われました。
階段の構造は、折返し階段というのでしょうか、半分下りたところに踊り場があり、そこから360度折り返すようにまた段があります。
日本の建物の階段も多くはこの形ですよね。壁側でない内側は、壁状だったり、鉄棒を縦に檻状になっているものなどありますが、そこが手すりの役割を果たしますよね。
この説明、わかりますでしょうか?
その人は、そこにしがみつくようにして下りて行きました。年齢だけの問題ではなく…、いえ加齢によるものかも知れませ\んが、足が少し不自由なように見えました。
おひとり住まいなのかどうか、荷物など持っていたら、上がって来るのは大変でしょう。
と、その時は思いましたが、後で、姪ごさんと一緒に住まわれていることがわかりました。
【2010.12.8】
今日(12月7日)はイスラーム暦(ヒジュラ暦)の元日です。ヒジュラの1432年アルムハッラム1日。
シリアは祭日で休みです。
ガイドブックをご覧になると詳しく書かれていますが、シリアには、イスラームとキリスト教、両方の祭日があり、いずれも休日です。もうすぐクリスマスですが、もちろん、この日も休みです。
今日は、ただ休みというだけで、町の様子も、金曜日(日本の日曜日に当たる)と変わらぬ1日のようでした。
シリアに限らず、どのイスラームの国でも、イスラーム暦(ヒジュラ暦)あるいは西暦でも、新年を迎えることを、特別なこととは考えていないように見受けられます。
ラマダーン明けのお祭りと犠牲祭が重要なのです。休みも長いし、日本のお正月のような感じです。
サウジアラビアでは、祭日でお休みといえば、ラマダーン(断食月)明けのお祭りと、ハッジ(大巡礼)のあとの犠牲祭だけでした。数年前にナショナルデーが制定され、3つになりました。
ヒジュラ暦を公式とし、イスラーム一色の国なのに、イスラームの元日も休みではなく、預言者聖誕祭もありません。
そのかわりと言っていいのかわかりませんが、他のイスラーム諸国に比べ、前述の二つの休みが長いです。
いずれにしても、シリアでは、イスラームの祭日や行事は全般的に地味な印象です。
【2010.12.8】
今回、私が来る少し前にサマータイムが終わり、時計を1時間戻して、通常タイムになりました。
10月29日の24時に1時間時計を戻して、もう1回23時を繰り返す。この日は実質的に25時間あるのですよね。
これで日本との時差はマイナス7時間。しばらくは時差の計算に戸惑いました。今でも、たまに間違えます。
サウジアラビアがマイナス6時間でしたので、これまではその延長でした。だから、時差については、サマータイムがとても楽だったのです。
欧米はもとより、アラブでも多くの国が取り入れていますが、国中の時計を変更するって、大変な作業ですよね。間違いの起こることはないのでしょうか。
コンピューター管理だから大丈夫?コンピューターだからこそ怖い?
時計の針を1時間戻すのを忘れて、学校に行ったら誰もいなかった!くらいなら、笑い話で済んでしまいますが。
官公庁も銀行も会社も学校も商店も、時計の方が変わるのであって、勤務時間、営業時間に関してはそのままですから、その点の支障はないでしょう。
でも、イスラムのお祈りは、日の出と日の入りによって決まるものですから、例えば、冬至に向かい、日に日に遅くなっていたファジュル(日の出前)のお祈りが、時計の上では、いきなり1時間も早くなってしまうのですよね。
周辺のアラブ各国がサマータイムを導入しているのに、サウジアラビアは、これまで一度も導入したことはありません。
マッカとマディーナというイスラムの二大聖地を守護し、祈りの中核となる国が、サマータイムで祈りの時間が変わるなんてとんでもない!というか、論外ということでしょうか?
公式の暦もヒジュラ暦ですものね(外国との関係がありますから、便 宜的に西暦も使ってはいます)。
経過する時間は変わらない、また、例えば、日本との物理的距離は変わらないのに、時間的距離だけが延びたり縮んだり。
サマータイムを導入している国にいると、どうも私は自分のいる場所がゆらゆらしているような不思議な感じにとらわれます。
夏の長い昼を有効にという趣旨とのこと。
確かに、サマータイムになったときは、時間が長くなったような気がしますが、元に戻ったときは、急に時間が短くなって、追い立てられてい るみたいです。
前日は18時まで明るかったのに、その翌日は17時を過ぎると暗くなり始めるのです。
【2010.12.7】
今朝(12月6日)、玄関を開けたとき、「あら、おじさん(※)、今日はずいぶん早く来て掃除をしてくれたのね。」と思いました。砂埃と水が混じると発生する、なんとも言えない匂いがしたからです。
匂いの原因は、おじさんの掃除ではなく、雨でした。朝方に待望の雨が降ったのです。
シリアは冬が雨期です。
例年ならば、11月に雪が降ることもあるというシリアなのに、今年はいつまでも暑くて、雨も降りませんでした。
都市への水供給や、農作物に影響が出ることが心配されていました。
真偽のほどはわかりませんが、「雨乞いの儀式が行われた」という話も聞きました。
昨日は昼間、27度まで気温が上がり、暑さがぶり返すのかと思いましたが、夜になってググンと気温が下がり、底冷えがして(12度くらいで、オーバーな話ですが、感覚として)、「日本だったら、『明日は雪が降るかもね。』っていう会話が出そうな感じだから、ひょっとしたら雨が降るかも知れないね。」と主人と話をしました。
一晩寝たら、そんなことはすっかり忘れていましたが、降ったのです。恵みの雨です。
久しぶりの湿気は肌に心地よく、身体もホッとしました。
雨によって、砂や塵埃がおさまり、流され、雨のあとに吹いた強い風にガスも匂いも吹き飛ばされ、今日の空気はさわやかで、空もベールのとれた青さになりました。
近くにあるのに、いつもぼんやりと霞んでしか見えないカシオン山も、今日はくっきりすっきり。こんなにきれいに見えたのは初めてです。
と感激したのも束の間、乾燥し切った町にはお湿り程度の雨、水分はあっという間に吸い込まれ、蒸発し、風だけが残って、砂埃が舞い始めました。
山の方にはどのくらい降ったのでしょうか。たくさん降ったのだといいけれど。
「この雨と風で季節が変わるんじゃないかな。そうじゃないと困るしね。」と主人が言いました。
(※)シャッカの住人と契約をして、ゴミ出し(玄関の前に置いておくと、ゴミステーションまで持って行ってくれる)と階段の掃除をしてくれる人のことです。
詳しいことは知りませんが、サイドビジネスでやっているらしく、また、いくつかの建物を掛け持ちしていると思われます。だから、来てくれる日時は決まっていません。
【2010.12.7】
前回7月に来た時、ダマスカスの道路の様子を見て、すぐにカイロのことが頭に浮かびました。
シリアの交通手段は、長距離のヒジャーズ鉄道があるほかは、バス、セルビス、タクシーなどで、ほぼすべてが車です。
でも、ダマスカスの町を見ていると、車をほとんど想定していなかった町の中に、車がなだれ込んできたような印象を受けます。
渋滞とクラクションと路上駐車と排気ガス。
まず排気ガス。
すべての道路がそうというわけではありませんが、交通量の多いところでは、口を、顔を、頭全体を被いたいくらい、アバヤを着ようかなと思うほどです。
排気ガスばかりでなく、砂埃もけっこうなものなので、実は、外出するときはマスクを着用しています。
でも、マスクをしていると怪訝な顔をされるし、病気だと誤解されかねないので、その上からスカーフを巻いています。 まるで湾岸の女性です。
交通量の多いところや人ごみ、また少し長く外にいるときなどは、スカーフの下になっているにも関わらず、白いマスクがグレーになります。
前回の滞在時は暑くて、昼間は全然外にでなかったと言っていいくらいでしたが、一度だけ一人で外出しました。
郵便局へ行ったのです。郵便局は遅くとも9時には開くというので、暑くならないうちに、道に迷うことも計算して、8時に家を出ました。
わかりやすいし、近いというので、初めて≪アサド橋≫なるものを徒歩で渡りました。
橋の下はバスターミナルになっています。橋の上を走る車の排気ガスと下からのそれ。形容し難いものすごさ。
まだ8時台とは思えない強い陽射しと暑さとの相乗効果で、頭がくら~っとし、気持ちも悪くなるし、倒れるかと思いました。
光化学スモッグが発生していたのではないかと思います。日本だったら警報が出たかも知れません。
いつもはなかなかつかまらないタクシーが、この日は「プップー」とクラクションを軽く鳴らしながら、後ろから徐行してついて来て、1台が行き過ぎてはまた別のタクシーが…といった具合で鬱陶しいこと。
とにかくその場を逃れたい一心で、ここで倒れてなるものかと、走るように歩きました…つもりです。
二度とこの道は通るまいと、もう少し環境のよい別の道を通って帰って来ました。
サウジアラビアもその他の湾岸諸国も車社会で、排気ガス問題がないわけではありませんが、車が違います。
ハイブリッド車が普及するには、メンテナンスなどの課題があるらしく、まだ時間がかかりそうですが、例外はあるものの、新しい、いい車ばかりが走っています。
利用者が気をつけなくとも、それだけで、排気ガス問題は改善されていきます。
【2010.12.6】
ダマスカスは古い町です。
私の住んでいるところも、古い建物が多いです。
住宅は一戸建てより≪シャッカ≫と呼ばれるアパートメントがほとんどです。
外側は、時の流れに任せたままのものも多く、壁がはがれ、配管や電線がむき出し、積年の埃と汚れなど、お世辞にも美しいとはいえませんが、内部に関しては、外側よりずっときれいなところが大半です。
我が家は、持ち主がほとんど手入れをしていないようで、こちらも時の流れのままそれなりです。
床もすすけて染みがいっぱい、ドアもゆがんでいるし、窓枠もまだ木製でガタガタ、隙 間風の通り道です。ペンキもあちこち剥げています。
クローゼットの上の段は全部、長年ここに住んでいたと思われるおじいちゃん(亡くなったときは)の持ち物を放り込んで(文字通りの状態)あって、いっぱいです。本棚の下の開き戸になっている所も同様です。
いろいろな所にこのおじいちゃんの住んでいた(生きていた)証が残っています。「味がある」ともいえる家です。
でも、お向かいも下の階の家も、それはそれはきれいなのです。
お向かいは、ドアが開いていてちょっと見えたことがあり、下の階の家には一度用事があって行きましたが、壁なんか真っ白で、床もピッカピカ、家具もきれいで、これが同じ間取りの家なのかと目を疑うくらい。
家賃が違うことは明白でありますから、仕方ありません。
中はとてもきれいにしているのに、外側はあまり気にしない、アラブの人には、このような傾向があると思っています。
ゴミなども、自分のテリトリーから出せば、きれいになったという考え方をする人が少なくないと感じます。
≪シャッカ≫の建物は、私の住んでいる周辺は、だいたいが地上4~6階建。少し離れると3階建てくらいのものが多いようです。
天井が高く、1階分が日本の1.3~1.5倍くらいあり、さらに1階が地上から1/2階分ほど高くなっています。4階は日本の6階、6階なら9階ほどにもなる計算です。(ここまでに出てくる階数は日本と同じ数え方をしています)
私の住んでいるところは、こちらでいう4階建(日本では5階)で、半地下があります。エレベーターはありません。各階に2戸ずつ。
建物のつくりはフランス様式とでもいうのでしょうか、フランス統治下にあった国にはよく見られる構造です。うちは3階(日本では4階)です。
まだ足腰は大丈夫なので、これくらいの昇降はいい運動と思っていますが、水(ミネラルウォーター)とかスイカなど重いものを買ったときは大変ですし、遠くまで買い物に行って疲れてしまったときなどはため息が出てしまいます。
上の最上階にあたる4階(日本では5階)に小さな子供が2人いる家族が住んでいます。
出かける度に、お母さんが赤ちゃんをだっこして、お父さんが乳母車を運ぶのです。上の子(2~3歳くらい?)は、自力で。
階段の段差はそれほどでもないですが、それでも、精いっぱいという感じです。丈夫な子に育つでしょうね。
お年寄りや身体の不自由な方だって住んでいるはずですが、大変ですよね。
半地下というのは、1階が高くなっているので半分くらいが地上、あと半分が地下にあります。地下と言っても地面にもぐっていて、外から見えないのではなく、外側から地面を掘りこんで階段をつくってあり、外からの出入りができます。
住宅になっているところもありますが、どちらかといえば、店舗になっている所の方が多いように思います。
【2010.12.5】
前回の話と多少重複します。
タンクの水については、サウジアラビアがそうであるように、建物あるいは区域ごとに大きなタンクがあり、そこに給水車が運んで来るものと思い込んでいました。
上水道が整備されてはいますが、時間制ですし、以前の我が家のように水圧によっては出ないところもあるでしょうし、それで、上水道の使えないところ、上水道の使えない時間の水は、給水車によってまかなっているもの考えていました。
しかし、そうではなく、上水道水の来ている時間にそれを水タンクに溜めていたのです。
以前の我が家の場合も、上水道水は蛇口から出なくても、タンクには溜まっていたのですよね。
よく思い起こせば、前回滞在中、給水車を見ませんでした。少ない外出時間ではありましたが、それでも、それで人々の生活用水の大半をまかなっているとすれば、見かけないはずはなかったのです。
タンクは高い所にあった方が効率的ですよね。スペースの面で もそうですね。
我が家は水の出が悪かったので、タンクが下(地下とか)にあって、3階(日本の4階)まで水を上げるのに十分な水圧(ポンプの力とか)がないのかな、4階(日本の5階)はもっとひどいのかしらと考えを巡らしていました。でも、やはり上にあったのです。
断水して修理してもらった後は、水の出がよくなりました。
装置の故障で、いつも水があまり溜まらない状態が続いていて、水圧が弱かったのかなと思っています。
我が家のある建物の場合、タンクは屋上にあり、戸別になっています。
およそ120×60×100(LWH、cm)の箱が戸数分、不規則に並んでいるのです。シリアでは、戸別になっている方が多いのかも知れません。
このあたりの住宅は4~6階(日本の5~7階)建てが多いので、上の方はよく見えませんし、また、戸別とは考えてもいなかったので、目に入っていたとしても、それとは分からなかったのではないかと思います。
その屋上は、超特大中華なべ(さびているものがほとんど)のようなパラボラアンテナがいくつも(世帯数以上あるのではないだろうか)、所狭しと設置してあり、他にも私には用途のわからないものがたくさん置いてあって、もう何がなんだか…という状態なのです。
屋上に行くのは、ちょっとした冒険でした。最上階(我が家の上の階)に細長いドアがあり、それを開けるとさらに上に行く狭い階段があるのですが、そこから先は電灯がありません。つまり夜だと真っ暗です。
それを上ると、屋上へのドアの前に2畳ほどのスペースがあります。上に出るドアのすぐ前にはとってつけたような不規g則な段があって、足をすべらしそうでした。
屋上には、前述のように、パラボラアンテナと、私には用途のわからない箱状のものがいくつもあり、タンクはさらにその2mほど上の段にありました。
そこに上るのには、まず置いてある椅子にのり、次に椅子の隣にある、なんというのか高さ1mくらい、足付の薄い看板みたいなももの上に、片足をかけて、はずみをつけて、上に這い上がります。修理工の人たちは、たぶん脚立を持ってくるのでしょうね。
屋上に柵はありません。周りに十分スペースはあるものの、足を踏みはずして、おっとっとっと!となったらと想像すると、ちょっと怖かったです。
自分が小さいので余計に大変だったのです(笑)。主人はもう少し楽に上がっていました。
【2010.12.4】
断水騒動のメールだけでは、わかりにくいところがあったと思いますので、シリアの水供給がどうなっているのかをお話します。
全国的にどうなっているのか、詳しくは知りませんので、我が家やこの辺りでの話です。
シリアは、都市部(どこまでを都市というのかは難しいです)においては、上水道が普及していますが、供給量には制限があるため、1日中供給されているところはないようです。
ダマスカスでは、地区によって午前午後にわけて供給されます。我が家は午前組です。だいたい午前5時から12時くらいまでです。
上水道に直結している蛇口は、台所にひとつあるだけです。台所には、上水道用とタンク用、二つの蛇口があります。
はじめはさびなどの混じった濁った水が出ます。最初の一番濁っているのは捨てますが、あとはバケツにとっておきます。水が澄んでから、空きペットボトルに1日分(それ以上)を詰めます。
生で飲んでも大丈夫とのことですが、それにはミネラルウォーターを使用、もっぱら加熱飲食用に使っています。
前回来たときは、水圧のせいなのか、ポンプのせいなのか、蛇口はあるものの上水道水は出ませんでしたが、今回は出るようになっていました。
そのため、ミネラルウォーターがたくさん必要で、3階(日本の4階)の我が家まで運ぶのが大変(主人が)でした。
このような状況でしたので、私は、上水道でまかなえない分は、給水車によりタンクに補給しているのだと考えていました。
タンクの水は、飲食できないものではないとのことでしたが、心配なので、これまで飲食には使っていませんでした。
今回の断水で、タンクの水が上水道水であることがわかりましたので、確かに飲食できないものではないのですが、タンクの設置状況やタンク内を定期的に洗浄しているとは考えられないこと、上水道から最初に出る濁った水のことを考えると、やはり飲食には使わない方がいいかなと思います。
いざとなったら、そんなことは言っていられませんけど、何事もなければ、使いたくないのが本音です。
レストランなどではどうしているのでしょうか。たぶん、最初に出る水は除いて、1日分の水量をタンクに確保するのだと思いますが…。
食器洗いには使います。その他、掃除洗濯、風呂トイレなど。台所にある上水道蛇口のほかは全部、タンクの水が出ます。
上水道の濁った水は、たいていはバケツ(10リットル)1杯程度ですが、たまに2杯ほどになることがあります。そんな時は床掃除を始めます。
水が足りないから、時間制で水が出るのに、そのためにこれだけの水が、もしかしたらムダになっているかも知れないと思うと複雑です。
我が家では、バケツにとっておいた水は、もっぱら翌朝のトイレ用にしています。
水が潤沢とは言えないけれど、少なくとも上水道が通っている都市に関しては、「水が足りていない」というのも、ちょっと違いますね。
タンクに溜めるとはいえ、上水道によって、個人からホテルなど、規模の差があっても、少なくとも1日分は確保できているものと思われますから、とりあえずは足りているということになるのかも。
一度に供給できる水量に限度があるということですね。水道は一定の水量、水圧がないと流れないものでしょう!?
断水騒動はタンクの装置の故障でしたし、他の水質の悪いところ(国)や水が絶対的に足りないところ(国)に比べたら、ここは恵まれています。
24時間いつでも、蛇口をひねれば、きれいな水が出てくるなんて、たまに給水制限があったり、島しょなどは大変だったりもしますが、それにしても日本はすごいですよね。その上、東京都の水は、ペットボトルに入れて売り出せるくらいだというのですから。
【2010.12.2】
今回もアブダビ経由でやって来ました。
アブダビ空港の中東方面発着ゲートのあるターミナルは改装中で、円形状に2階吹き抜け構造になっている1、2階ともその半分にシートがかかっていました。
シートの上に貼ってある出来上がりイメージの絵から察するに、ここにも入出国ロビーができるのかなと思います。そこは、かなり端っこにある感じで、メインターミナルからは遠いのです。
さてと、トランジットタイムを過ごすその場所の雰囲気が、前回とは全く違うように感じました。
前回の7月は、出稼ぎ労働者と思われる人やビジネスマンが多かったです。あとは観光か里帰りかと思われるアラブ人でした。
ラクダランドのようなお土産ショップも閑散としていました。写真を撮らせてもらって、しばらくブラブラしていましたが、その間のお客さんは二人だけ。買い物をしたのは、そのうち一人。ちょっと居心地が悪かったです。
今回はいかにも観光客という人々がたくさんいました。日本人も、ツアーが2組に個人旅行らしき人が6~7人。
前述のお土産ショップもそれなりに賑わって、商売が成り立っていました。
≪ハラマイン(イスラムの二つの聖地、つまりマッカとマディーナのこと)≫という札を下げた人々もたくさんいました。
巡礼者です。もうすぐハッジ(大巡礼)ですね。まずシリアに行くということは、ウマイヤドモスク(イスラム第4の聖地)にお参りしてから、サウジに入るのでしょうね。
シーア派かな?シーア派だとすれば、サイイダ・ザイナブ廟にもお参りするのでしょう。
7月には行かなかった(暑くて行けなかった)旧市街・キリスト教地区へ行って来ました(11月12日)。そこにも、大勢の観光客がいました。
【2010.11.29】
時々通る花屋の店先に、昨日ポインセチアが並んでいました。クリスマスまでひと月ありません。
ジェッダでは、クリスマスが近くなると、それと明示はしないものの、それらしい飾り物が売られていたり、それ風のショーウィンドウが出現したりはしました。
でも、何軒もあった花屋にポインセチアが並ぶことはありませんでした。単に暖かすぎるということが、その理由だったのかも知れませんけど。
シリアでは、イスラムの行事はあまり目立ちませんが、クリスマスはどうでしょうか。
【2010.11.23】
11月も半ばを過ぎたというのに・・・。
朝方は若干肌寒く感じるものの、10時を過ぎれば、夏のような日差しに半袖のTシャツ1枚で十分。ちょっと歩くだけで汗ばむほど。シリアの人々も首をかしげる暑さ。
例年、11月の平均気温は東京より低いなんて、今年は違うぞ!と思っていました。
と、これは一昨日(11月21日)まで話。
昨日からぐっと気温が下がりました。昼になっても気温は上がらず、20度を少し超えるくらい。とても気持ちよく感じました。
夜はぐぐっと冷え込み、足が冷たくて、なかなか寝付けませんでしたが、たぶん17~18度だったでしょう。
このくらいの気温が続いてくれると、過ごし易くてうれしいのですが、このままズドンと急降下しそうな気もして恐ろしいです。
なかなか日本に追いつけずにいたのに、いきなり追い越してしまうかも・・・です。
【2010.11.21】
前回もお話しましたように、我が家の水供給について私たちが大きな誤解していたことが、今回の断水騒動でわかりました。かえってよかったと思っています。
一度目の断水は夜10時からで、翌朝の6時には水が出ました。これが一時的なタンクの不具合で、この日に何もなかったのなら、「よくあること」で済んでしまったでしょう。しかし、翌日夕方6時にまた水が止まってしまいました。
今回も何の知らせもないし、隣近所が騒がしくなる様子もない。「これはおかしい!」と、主人が近所にある不動産事務所に行きましたが、留守番のかなり年配の男性では埒があかず、もう帰宅している不動産屋の主に電話しました。
「たぶんタンクの問題だろう。水は来ているはずだから。それでOKか?」
って???何がOKなの?
「昨日も今日もで、今日はまだ6時だ。他の人は何も言ってこないのか?」
そこで、びっくり仰天の新事実(私には)。
「タンクは各家に一つだから、大丈夫。OKか?」
えっ!?タンクを戸別に持っているの!?想定外の答えでした。
で、戸別のタンクにどうやって給水をしているのかというと、上水道が来ている間にそれを溜める仕組みとのこと。
(は~あ!そうなの!…ということは、トイレのタンクみたいな装置を持っているということかな? それが故障したということかな? それで今朝は、上水道が出始めた1時間後の6時になって水が出たということね。)
とまあ、それは置いておいて、そういう仕組みということはわかりましたけれど、我が家だけだから構わないということにはならないと思うのですが、なぜ、「OKか?」と言うのか、それがわかりません。
原因や状況がわかれば、納得もするし我慢もします。状況がわからないまま、どうしたらよいのかわからないままというのが不安で嫌なのです。
すったもんだの末、我が家の近くに同業の弟さんが住んでいるので、まず自分が話してみるから10分後に直接電話をしてみてくれ、ということになりました。
その電話でも、何度も「OKか?」を繰り返し、や~っと来てくれることになりまして、約束どおり、1時間後に来てくれました。
タンクは屋上にあり、大冒険(暗いし足場が悪い)をしてタンクにたどり着いてみると、果たして我が家のタンクだけ、すっからかん。
やはり浮を使った貯水装置でした。戸別のタンクといっても、満タンであれば、一日や二日で使いきれる量ではありません。浮がうまく作動せず、わずかな水量で弁が閉じてしまうようでした。
そして、とりあえずは、応急処置として隣の満杯のタンクから少し分けていただいて、翌日、ちゃんと修理していただいて、一件落着となったのです。
いつ、どのように壊れたのかはわかりませんが、補充がほとんどできず、ストックを減らすばかりとなり、とうとう空になった。そして、その翌日は、わずかに浮が作動する分だけ、つまり夕方6時までになくなる分量だけ、水が溜まったということですね。
それにしても、逆でなくてよかったです。弁が閉じない方向に壊れていたら…。大変なことでした。
【2010.11.15】
今日でハッジ(大巡礼)が終わります。
ここではハッジのハの字もない感じで、ハッジ中であったことを、ついつい忘れがちでした。なんだかさびしいです。
それでも、ついさっき15時(日本時間11月15日22時)に、ハッジを祝う花火の音がしました。
13日(土)に『マアルーラ』という町(人口5,000ほど。その大半がギリシャ正教徒)に日帰りで行って来ました。
着くや否や、目の前の聖テクラ修道院の鐘の音とともに、例の「ラッパイカッラーホンマラッバイ・・・」というなつかしい節がモスクから流れてきて、「あっ!ハッジだった」とあらためて気づかされました。
サウジアラビアにいた時は、ハッジが始まるだいぶ前からこの節を耳にするようになり、ハッジの期間、そして終わってからのお祭りの間も、この節の洪水で、頭の中でグルングルンしていました。
ダマスカスでは聞くことがなかったこの節をこの町で聞くなんて・・・。
今年のハッジは、いつに増して凄かったのですね。300万人ですって!
あそこも年々便利になって、モスクの外側には高速道路が走り、ついには鉄道も通る予定とか。「巡礼」という言葉の持つ響きとは、だんだんかけ離れていくように感じます。
【2010.11.8】
11月8日22時~翌9日6時まで断水。その日の18時~、まだ断水。
11月8日22時、シャワーを浴びようとして蛇口をひねったら、ちょろちょろっとお湯が出て、それきり止まってしまいました。
断水です。
上水道水とミネラルウォーターはストックがありますが、タンクからの水はバケツに一杯のみ。
シャワーはいいですが、困るのがトイレです。いざとなったら、開かずの間のアラブ式トイレの利用も考えなくてはなりません。
これまで停電は、長いもの、短いもの、何度かありましたが、断水はありませんでした。サウジでは断水を経験しましたが、短い時間でした。
シリアでもサウジでも、普通に蛇口をひねって出る水、トイレやシャワーに供給される水は、タンクの水です。
タンクが空になったのか、なんらかの故障か、いずれにしても一時的なことかも知れないし、夜も遅いので、とにかく朝を待つことにしました。朝にはいつも通り、ちゃんと上水道水が出ることを願って。
翌9日朝5時、いつものように上水道の水が出てホッとしました。最初に出る濁った水を、いつもの倍以上、きれいになった水も含めて、あるだけの容器に溜めました。
6時になって、タンクの水も出始め、安堵しましたが、どうなるかはわからないなとも思っていました。
そして、予想に反せず、18時にまた水が止まりました。
前日も今度も何の連絡もありません。こんな時間に止まってしまっては、他の家も大変だろうと思ったのですが、騒がしくなる様子もありません。
ひょっとして我が家だけ?
あちこち連絡をとってみて、やはり断水は我が家だけだとわかり、やっと、やっと…やっとのことで人が来てくれることになり、ちゃんと約束した時間通りに来てくれました。
タンクは故障により、空っぽでした。応急処置をし、水が出るようになり、「明日、確認に来て、修理をする」ということで、原因はわかったし、とりあえずは一安心。
でも、修理もどうなるかはわかりませんので、その後、大きなバケツを買いに行き、今朝はそれにも水をいっぱいに溜めました。
タンクがちゃんと直って(直してくれて)、何事もないことを願うばかりです。
と、ここまでを今日(10日)の午前中に書きました。
夕方、主人が帰って来て電話したところ、「今朝、確認に行って、修理をしたのでもう大丈夫だが、念のため、自分でも確認してくれ。」とのことで、見て来ました。大丈夫そうです。よかった。
【2010.11.8】
日本時間11月5日(金)18時30分、ダマスカスの我が家に着きました。
久しぶりにやって来たダマスカスは、10時だというのに、30度近い気温で夏を思わせる暑さでした。できるだけ多くの品物を運ぶため、衣料品を荷物に入れないようにと着ぶくれした私はふかし芋状態。
でも、あの夏の暑さに比べたら、なんのその。日本もシリアも本当に暑い暑い夏でした。
朝晩は15度前後と涼しく、夜遅くなると肌寒いくらいですが、昼間はまだまだ暑く、半そでのTシャツで十分です。
それでも、11月の平均気温は、例年、東京より低いといいますから、これからどっと寒くなるのかも知れません。
着いた日と翌日は、寝ても寝ても眠くて、ほとんど寝ていましたが、昨日7日から復活。荷物の片付けと掃除(砂埃がすごい!)に勤しんでいます(そこそこに(笑))。
【2006.11.10】
シリアは、今までの暑さが嘘のように急に寒くなりました。部屋にいる時は あまりの寒さに靴下を履いて、洋服も何枚も重ね着している状態です。一応、ストーブはあるのですが、部屋の広さの比べてあまり効き目がないのか なかなか暖かくなりません。明け方も寒さで目覚めるようになりました。
あっつい夏が終わったかと思ったら、急に冬が来たようです。夜はダウンジャケットを来ている人もいます。
日本では秋が一番好きな季節だったのに、ここでは秋は2週間くらいしかなかったようです。この感じだと春も短いんでしょうか…
学校の授業ですが、今は名詞の対格用法を先週から引き続き勉強しています。
理由、状況、区別など、文を理解する上でとても大切なところですね。この用法は先生に教えていただいたことばかりだったので、お陰でよく理解できました。ありがとうございました。
学校では週に1回 新聞のクラスがあるのですが、これが学生には不満の嵐です。
最初の授業では、先生だけが新聞をもってきて、コピーもなにも配らずに、先生がただ 気に入った記事を読んで、ひたすら自分の意見を話すだけでした。理解できる学生だけが、先生に質問するだけで、単語の説明もほとんどなくて、途中から帰ってしまう学生もいたほどです。この先生は日本人の間では、通称「新聞ばばあ」と呼ばれています。
噂には聞いていたけれど、本当にびっくりでした。せめて、コピーでも配って欲しいと思いました。
次の授業からは、新聞を配ってくれましたが、部数が足りずに2人で一部でした。その場で先生が指定した記事を読んで、分からない単語があったら、先生に聞くという感じの授業でした。
単語は辞書を見れば大抵は分かるし、仮に先生に聞いても、意味が分からないこともあるしで、これが新聞のクラスなのか?と疑問に思いました。
やはり文章構造に焦点をおいた授業はここではなさそうです。今になって、日本でもっ と新聞記事やいろんな文章を読んで、先生に質問しておけばよかったなと思います。
最近は、日本語を勉強中のシリア人の友人がもっぱら私の先生です。分からないところも日本語で(!)説明してくれるので、助かっています。複雑な文章構造が読み取れず意味が分からないときには、よく助けを求めています。
【2006.10.13】
先週からようやくATIFの授業が始まりました。テストの結果、レベル5に入ることに なりました。
ATIFにはレベル1から6まであります。6まで終わるとシャハーダがもらえるそうです。
私のクラスは、トルコ人4人、中国人4人、シンガポール人3人、マレーシア人3人、ロ シア人2人、カザフスタン人1人、安良城紅そっくりの美しいイラン人1人、ニュー ジーランド人1人、ドイツ人1人、20人のクラスです。
レベル5のクラスはもう1つありますが、そちらは25人くらいいるそうです。どのク ラスも、2クラスありますが、ほぼ満席の状態らしく、全校で約300人くらいの学生が いるそうです。多いですね。ダマスカス大学が授業料を上げてから、大半がこちらに 移ってきているようです。
授業に参加した初日は、1限から哀れにも文法のクラスでした。しかも、文法本が学 校にまだ入荷していなくて、本もない状態で授業をうけました。
先生が話していることも早くてさっぱりわからず、黒板の字も崩して書いてあるのでほとんど読めず(聞いていないと何を書いてあるのかわからないのです)、口をパクパクさせたまま終わりました。
私は、ほとんど何が起こったのか(笑)わからない状態で授業が終わってしまいましたが、クラスメートは皆よくわかっているようでした。質問されても、聞かれている意味がわからずボケっとしてるのは私だけで、皆 ちゃんと質問に答えてるし、進んで質問もしていてすごいなぁと感心していました。
私は授業後に、ノートを貸してもらって、ひたすら写して、家に帰ってから調べてもみてようやく理解できる状態です。クラスメートがとっても親切で、いつも教えてくれるので助かっています。レベル4に移ろうか悩んでいましたが、クラスにたくさん友達ができて、楽しいクラスなのでここで頑張ろうと思いました。
今は、とりあえず文法用語を覚えるべく、部屋の壁に貼って毎日唱えています。書 いても読んでも覚えられないので、壁に貼りました。
文法の時間は、私はほとんど発言機会がないに等しいのですが、会話のクラスは自由 に発言ができるので楽しんでいます!今日は、シリアに来て驚いたこと、大変なこと について話しあいました。
私は、シリアでは日本人(中国人、韓国人)をみると「ちん、ちゃん、ちょん」と 言ってくることに驚いたといったら、クラス中大爆笑でした。
どういう意味なんですか?ときいたら、中国では子供が生まれたときに、お皿を割ってその音を子供につけるとシリアでは言われていて、そこから、この「ちん、ちゃん、ちょん」が知られるようになったそうです。でも、私は日本人なのに・・・
トルコ人がいうには、テレビ番組であるコメディアンが「ちん、ちゃん、ちょん」の歌を 歌っていたことから、有名になったらしいです。
・・・こんな感じで会話のクラスは、自由に意見を言える雰囲気なので、楽しんでいます。
【2006.10.6】
先日、アレッポ大学に行って確認してきましたが、今はアレッポ大学ではアラビア語のクラスはなく、プライベートで先生を探すしかないそうです。
アレッポ大学には学術交流日本センターがあり、学士以上の資格を持つ人なら、ここの研究員になれます。自分の興味のある分野の研究をしつつ、プライベートでアラビア語を教えてもらうか、または日本語のクラスがあるので、その学生たちに日本語の授業のサポートをしつつ、彼らにアラビア語を教えてもらうことも可能だそうです。
ここの研究員になるのは無料で、学生ビザが1年間でるそうです。また、毎年3月に慶応の学生が語学研修に2週間ほど滞在するので、その期間なら一緒に授業に参加することは可能だそうです。朝9時から13時まで授業があり、その後昼食、休憩をはさんで夕方5時からはシリア人の学生とペアになってマンツーマンでアラビア語の勉強をするそうです。
語学センターの学長(?)に電話で問い合わせた時、「アラビア語のクラスもあるし、ビザもでるから大丈夫だ」と言われたのですが、詳しく聞かなかったのがいけなかったですね。
ダマスカスかアレッポかどちらで勉強しようか考えていたのですが、最初の数ヶ月ははアラビア語の学校があるダマスカスに通い、慣れてきたらアレッポの日本センターに在籍しようかと思っています。
ダマスカスはアラビア語の教育機関が多いため、アレッポに比べると留学生も多く、いろいろな国の友人ができて楽しいです。
明後日から 学校(ATIF)の授業が始まります。が、私は皆が登録に行っている期間、のんびりとアレッポにいたため、授業開始日が登録日となります。エイズ検査など諸々あるので3,4日遅れての参加となりそうです(笑)
【2006.9.18】
シリアについて1週間がたちました。
着いた当初はダマスカスとアレッポのどちらで勉強しようか迷っていたのですが、最初のうちは(少なくとも年内は)、ダマスカスで学校に通うことにしました。ダマスカスには、学生やお仕事でいらっしゃる方も多くて、生活のことから学校のことまで、よく教えていただいているので、シリア初心者の私でもここでの生活にだいぶ慣れてきました。
先日、日本人滞在者のパーティーがあり、約30人の日本人が集まって とても盛り上がりました。大半が学生でしたが、大使館関係者やJICAの職員の方、日本語教師の方々と知り合えて、とても楽しかったです。学生は、ほとんどがATIFの学生で、今ダマ大に行っている学生も次のタームからは1人を除き皆 ATIFに移るそうです。なので、知っているだけでも来学期のATIFには8人の日本人が通うことになります。多いですね。私は、10月1日から始まるタームをとってから、引き続きATIFで勉強するか、アレッポに移るか考えようと思います。
今は、旧市街のバーブトゥーマ地区で下宿しています。おじさん、おばさん、とってもかわいい男の子(4才、5才)の家族と一緒に暮らしています。
おじさんとおばさんは、英語もとても上手だし、フスハーも話してくれるので、毎日が会話の練習になっています。また、会話だけでなく、アラビア語の文章を直してくれたり、新聞の分からないところを訳してくれたりと、まるで家庭教師宅に住んでいるかのようで す。残念なのが、子供は100%アンミーヤのため、話があまり分からないことです。寝る前や朝会うと、抱きついてきてキスをされるのですが、会話が続かず、じゃれあってばかりです。いつも抱っこをせがまれるのですが、けっこう重くて大変です。
下宿先では、贅沢にもキッチンを私専用で使わせてもらっているので、この機会にシリアの料理を覚えたいと思います。ここの野菜は、安くて味が濃くておいしいですね。適当に野菜をいれて煮ているだけで十分美味しく食べられます。美味しい料理を食べ続けている為か、この1週間で、すでにズボンのウェストかかなりきつくなってきました・・・1年後にはどうなっているのか恐ろしいです。
下宿先に移ってから4日経ちましたが、本当にいい大家さんに出会えたと思います。ここは、今まで日本人に貸したことがなかったそうなので、日本人第一号として日本人の恥にならないよう、お手伝いに励みたいと思います。(笑)
大家さんにも毎日よく教えてもらってますが、ダマ大の学生にもアラビア語を教えてもらっています。先日、ダマ大に見学に行ったときに日本語を勉強中のた学生と知り合って、彼に日本語を教える代わりにアラビア語を教えてもらっているのです。今日も、これからあやしい日本語のレッスンをしてきます。
学校は始まってませんが、アラビア語を教えてくれる友人たちのおかげで、少しずつ ですが会話もできるようになってきました。また 街へ出ると新しい発見ばかりで、 毎日がとても充実しています。今のところ まさに 人生のバカンスでございます。