アラビア語「塾」30周年記念パレスティナ巡礼紀行
2018年11月2日(月)- 8日目
執筆:アンク
自由行動編 ~ その1
旅行も残すところ後一日と半分。今日の予定は午前9時半集合でイスラエル博物館見学、夕方イブ先生のお宅訪問。金曜日なので午後2時にはほとんどの施設が閉まってしまうとのこと。
疲れも出てくる頃だし、無理は禁物と思っていました、出発前は。でも後一日半と思うと欲張ってしまい、朝食後にホテル近くの「園の墓」を見学に行きました。
園の墓
名前だけを聞くとよくわからない施設ですが、ここが本当のゴルゴタの丘という説に基づいた聖地になっているようです。ゴルゴタ=髑髏で、髑髏のように見える崖があるのでここが本当のゴルゴタなのだとか。開園ちょうどに着くと、団体さんの長蛇の列。しかも、受付の人ともめています。長く待つのかなあとうんざりしていたら事務所の人が出てきて、並んでいる見学者に国籍を聞いてきました。前日見学したジュンディさんから日本語のパンフがあるという情報をいただいていたので期待していると、まさしくパンフレットが配られ、団体さんを置いて中に入ることができました。鼻の欠けた髑髏に見えないこともない崖のくぼみも、キリストの墓と言われる墓室もそれなりに印象的でしたが、一番驚いたのは施設の1/4くらいの面積を占めていそうなレクチャー空間でした。大学の講義室のような、円形劇場風に段々に並んでいるベンチがある空間があちこちにあり、こんなに一度にたくさんの団体さんがくるのかしらと思いました。
イスラエル博物館
ホテルまでイブ先生が車で来てくださったので、先生の車とタクシーに分散してイスラエル博物館を目指しました。私はイブ先生の車に乗せていただき、早速出発!と思いましたが、ホテルの車寄せが混んでいて待つことしばし。おまけに車寄せ付近の手入れをしていたおじさんのホースがイブ先生の車の下敷きになっていてちょっとドキドキしましたが、アンミーヤで応対していたイブ先生はすごいと思いました。イブ先生によれば、やはりこういう場面でアンミーヤでコミュニケーションがとれると明らかに反応が違うしスムーズになるとのこと。
イスラエル博物館は死海文書の原本を展示していると聞いていたので楽しみにしていました。見ても読めないけれど、保存状態がよく文字も鮮明だったので、ヘブライ語の文字だけでも読めたらもっと面白かったのにとちょっと残念でした。
死海文書は博物館の中でも特別な建物に展示されていて、夢中になって見ているうちに皆さんが先に出てしまったことに気が付かず、マジュディーヤさんが呼びに来てくださいました。他にも見当たらない人がいるというマジュディーヤさんより先に皆さんが待っている場所を目指すと、何やらアラブ人女性を囲んでご歓談中!?びっくりしながら近づいてみたら、アラブ人女性ではなく、スカーフをかぶりロングスカートをはいたアッタさんでした。遠目からは完璧なアラブ女性。すっかり勘違いしてしまいました。(ごめんなさい!)
そこからはご自宅に戻って来られたイブ先生と合流し、ユダヤ教に関する展示を中心に先生に説明していただきながら見学しました。イスラエル博物館はとても広く、各地のシナゴーグを再現した展示がいくつもあってびっくりしました。冠婚葬祭にまつわる品々が多いのはどの宗教も一緒なのだと思いましたが、面白かったのは古代エジプトの墓碑に似た形式のものがユダヤ教でも墓碑として展示されていたことです。それから各地のユダヤ教徒の民族衣装も圧巻でした。祭祀の道具としてはユダヤ教の教典の中でも大切なモーゼの五書(トーラー)の巻物を収めた美しい筒がたくさん展示されていました。重要で大切なので上部に王冠をつけたり豪華な装飾を施したりしてあるそうです。円筒形のせいか、見た瞬間チベット仏教の経典を収めたマニ車を思い出し、これも回せばトーラーを読んだことになるのかと思って恐る恐るイブ先生に伺うと、ユダヤ教ではちゃんと声に出して読まないと読んだことにならないとのこと。かなりの量があるのに大変だなあと思いました。
もう一つびっくりしたのは、歴史民俗関係の展示のすぐ隣の部屋に20世紀の絵画が展示されていたことです。ユダヤ教の祭祀からピカソへと、いきなり時代もコンセプトも変わってちょっと混乱してしまいました。展示の見学後はミュージアムショップへ。楽しいもの、面白いものがたくさんあってみるだけでもすごく楽しかったです。
十字架の修道院
この日は金曜日で、エルサレムの多くの観光施設やお店は午後2時で閉まってしまうため博物館も早々に出なくてはならず、割と近くにある修道院は4時まで開いているとのことなので行ってみることにしました。正教会の修道院で、ここのオリーブの木からイエスが磔になった十字架が作られたという伝説があるそうです。
受付兼売店のおじさんに見学を申し込むと、クリスチャンかと聞かれ、グループの何人かはそうだというと、どうぞ、どうぞとのこと。入場料を払おうとしても受け取らずびっくりしました。ただし、何故か帰るときに請求され、後払い制だったのかちょっと謎です。
この修道院は4世紀から存在し、今の城塞のような建物は十字軍の時代にできたそうですが、つい近年まで修道士たちが実際に住んでいたらしく、古くから使っていたような生活用具もあれば、配電盤や水道もあり、生活感がかなり残っていました。食堂の長いテーブルは迫力があり、前日見学した旧市街の「最後の晩餐の部屋」より、こちらの方が本当の晩餐の部屋だったのではないかと思うような雰囲気があります。
祭壇がある礼拝堂にはイコンがあり柱にも聖人などの絵が隙間なく描かれていてきらびやかで、荘厳な雰囲気でした。圧倒されて外に出たら花壇にかわいらしい亀の置物が飾ってあって、なんだかほっとしました。
エルサレム西側の町
4時まで開いているはずの修道院も3時には閉じてしまい、そこからはぶらぶらと歩きながらタクシーを探してイブ先生のお宅にいくことになりました。でも時間帯が悪く通るタクシーは全て乗車中。最後はイブ先生のご主人が車で迎えに来てくださり、メンバーの半分は車で、残りの半分は歩いてお宅に向かいました。
初日にテルアビブとジャッファを見学して以来ずっとパレスチナ側の地域にいたので、エルサレムの西側は全く雰囲気が違って驚きました。公園には日本にもありそうな大きな滑り台があり、子どもたちのお誕生日会をしているらしい集団がいました。住宅街は整然とアパートが立ち並んでいて車を止めるスペースも広く、見かけた人の大部分の外見は白人です。ヘブライ語とアラビア語の標識さえなければ、アメリカのどこかの町と言っても通用しそうな感じでした。
イブ先生のお宅で夕食
徒歩組に入った私はイブ先生のご主人に案内していただいてお宅まで行きました。イスラエルの人と話すのは初めてなので、正直に言えば少し緊張していましたが、とても穏やかで親切な方で緊張はあっという間になくなりました。
お宅に着くと、車組と二人のお子さんのうちの一人、「しゃー」君が迎えてくれました。絵が上手な「しゃー」君のお絵描きをみたり、全然わからないヘブライ語のテレビ番組を見たりしているうちに、もう一人のお子さん「ゆー」君と偶然同時期にパレスチナを旅行していた旧塾生の「時間守れないADHD先生」を迎えに行っていたイブ先生が戻られ、楽しい夕食が始まりました。金曜日の夕方でもう安息日が始まっていたので、ハラーという安息日のパンをいただきました。形が三つ編みのようできれいなパンです。温かいスープにお魚、サラダ等々、みんなすごくおいしかったです。イブ先生、本当にごちそうさまでした。
楽しい夕食会の最後は、ミニコンサート。「しゃー」君がチェロを「ゆー」君はテノールというユーフォニウムのような金管楽器を演奏してくれました。二人とも上手で楽器が歌っていて、とても素敵なコンサートでした。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、タクシーを呼んでいただいてホテルに戻った時はかなり遅い時間でした。
ユダヤ教のことを知る機会は今までなかったので、博物館で見たこともイブ先生から教えていただいたことも全てが目新しく面白かったです。何よりイブ先生と素敵なご家族と知り合えて楽しく素晴らしい一日となりました。