アラビア語「塾」30周年記念パレスティナ巡礼紀行
2018年11月3日(土)- 9日目
執筆:Hank
エルサレム – 最終日
テルアビブ空港(20:55発)を後にしてイスタンブール経由、トルコ航空(11/4 02:00発-成田19:40着TK052)で一路日本に向かう。
機内は往きと同じで満席である。イスタンブール空港のVIPラウンジで軽食を済ませていたので、機内では食事はほどほどにワインで家内(よっしー)と「お疲れさま! 楽しい旅だったね」とささやかな乾杯。
ワインと旅の疲れが出たせいか、心地よい眠気が襲ってきて10日間のパレスティナ旅行が走馬灯のように脳裏をめぐり眠りについた。
かつて中東(カタール)に駐在したこともあり、中東諸国はイスラエルとイエメン以外は全部行っているが、パレスティナはヨルダン側から眺めたことがあるだけであった。出張や駐在で欧米含め多くの国を訪ねたが、私は意外と中東(アラブ)が好きである。
世界遺産踏破を趣味とする自分としては、今回の旅で4つの文化遺産を訪ねることができ、私の訪問先は300件(全世界の文化遺産886件の約1/3)の大台に乗った。イスラエル(パレスティナ)には現在13の世界遺産が登録されており、今回の訪問では、1)エルサレム旧市街と城壁、2)テルアビブの現代建築群、3)イエスの生誕地:ベツレヘムの生誕教会と巡礼路、4)ワインとオリーブの地:南エルサレム、バッティールの文化的景観、の4件だけであったが、想像以上に魅力あるイスラエルを感じただけに、また来てみたい。
最終日のトピックスは何と言っても、イスラエル出国時の検問であろう。テルアビブ空港で、我々18人の団体を担当したのはチーフと思われる女性検査官であった。ツアーリーダー(檜先生)以外に誰か英語でできる者はいるか、との問いかけに、2番手としてお役所務めのメンバーが、イスラエルの検問状況を勉強したいとのことで手を挙げる。我々の待機場所から少し離れたところに連れて行かれ検査官と何やらやりとりが始まったが、なんと30分近くたっても解放されない。そうこうするうちに、もう一度と呼び出しがあり、檜先生が出向く。二人の発言(回答)の整合性をただしているようだが、檜先生も戻ってこない。待っている我々も不安になってくる。やおら、女性のチーフ検察官が「もう一人、英語ができる者は?」と問いかけてくる。皆なに押されるように私が出向くこととなる。検察官からは、「アラビア語を勉強しているというが、何のため?」「なんでイスラエルに来たのか?」「どこに、何日間滞在したのか?」「仕事は?・・・」などいろいろと聞かれる。アラビア語を勉強している日本人ということに検察官は大きな関心をもっているようで、私からは、すかさず「日本人は、語学を勉強するのが好きな国民で、特に若い女性は、英語以外にも熱心にイタリア語やフランス語、そして一部の者はアラビア語を勉強している。中東には紀元前からの歴史的遺跡や文化もあり、自分の目で見て勉強するのは楽しい。特に、今回は死海文書などユダヤの誇る文化的産物には感動した。日本に帰ってもイスラエルの素晴らしさを友人たちに伝えたい・・・」などと、楽しそうに話したら、それまで怖そうに詰問した女性検察官が笑みを浮かべて「なるほど! 皆さんは好奇心が強いのですね、Welcome Israel」と会釈をした。戻っていいよ、ということで間もなく全員が出国検査をパスした次第である。
入国検査の時にはほとんど問題なくパスしたのに、出国時には何と1時間近くも足止めされ、イスラエルの検査の厳しさ(でも何故、出国にそんな厳しくするのか分からない)をまじまじと味わった一瞬であった。そんな想い出をうつらうつらと巡らしているうちに、機体は成田空港に降り立ったようだ。
食事も美味しかったが、一番印象的なのはゴマをまぶした輪になったパンである。もう一度訪ねてみたいイスラエル(パレスティナ)の旅であった。