アラビア語「塾」30周年記念パレスティナ巡礼紀行
2018年10月31日(月)- 6日目
執筆:よっしー
エルサレム初日
~ヴィアドロローサの新しい記憶~
「わたしの罪のために 思い十字架負わされ 嘲る人の中を
耐えて行かれた イエスよ。 ドロローサ ドロローサ カルバリの丘へ~」
わたしにとって「ドロローサの道」のイメージは、幼いころに日曜学校で歌ったこの讃美歌から来ている。幼児は宗教を選ぶことはできない。両親がクリスチャンだった私はクリスチャンの子供として育つ以外の選択肢はなかった。しかも父親が国家公務員で転勤が多く、いわゆる「移動する子供」だった私は、どこへ移動しても「よそ者」として、いじめを受けた。マイノリティーとしての不便を諦めと共に受け入れる際のいわばBGMとして脳内に繰り返される歌のひとつが、これであった。私にとってのドロローサは「諦観」のテーマソングだったのだ。
しかし、しかし、しかーし!!!と本物のヴィアドロローサを上りながら、内心私は叫んでいた。「ここって、浅草寺門前の仲見世商店街か」。狭い道の両側に土産物屋や軽食スタンドが立ち並ぶ。身動きできないほどの人が、坂の上りと下りで交じり合う。暑い。にぎやか。まぶしい。喧しい。観光客は楽しそうだ。グループに遅れないように急いで必死に歩いていた私の脳内に繰り返されていたのは「ザン・ザザザ・ザン・ザン」という「ボレロ」のリズムで流れる「人生楽ありゃ苦もあるさ~」という水戸黄門のテーマだった。とほほ、である。
この日は午前中にオリーブ山から世界遺産である「エルサレム旧市街と城壁」の全容を眺め、地図上で「キリスト者地区」「ムスリム地区」「ユダヤ人地区」「アルメニア人地区」「神殿の丘」と5つに色分けされた様子を確認した。エスニシティーってもっと混沌と混ざってもいい筈なのに、やっぱり「エスニック・アイデンティティーの境界」って頑固なのね、と今、読んでいる本のテーマを体感して得をした気分になった。(Barth 1969)
元気に徒歩で下山する人たちと分かれ、私はタクシーで聖ステパノ門へ移動した。
門にはイスラエル軍の兵士が銃を手に立っている。待ち合わせ場所が聖アンナ教会だったので、若い兵士のおにぃちゃんに「聖アンナ教会ってどこ?」と尋ねたところ”No. English”と返されてしまった。「英語わかんねー」って意味なのだろう。それとも「ヘブライ語以外対応しねーよ」って意味だったのだろうか。
無事グループと再会し、ヴィアドロローサの12のチェックポイントのうち4番目の「苦悩の母マリア教会」の中庭に立ち寄ったところでランチとなる。 レストランの名前は ”ABU SHUKRI Restaurant”. 私にとってのこの旅行中のベスト・ランチは、これだった。ホモス(ホンモス)が卵サンドのフィリングにニンニクをちょっぴり入れたような味で、マイ・べスト・ホモスもこの店のものに決定だ。ファラフェルも熱々。
ピタもほんのり温かい。今まで冷たい前菜がご馳走とばかり、冷たい料理ばかり食べていたので、なおさらだ。念のためにトリップアドバイザーで店の情報を調べたところ2018/11/28 23:45 時点の情報では「イスラエルのレストラン794店のうち66位」だった。
(https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g293983-d807774-Reviews-Abu_Shukri-Jerusalem_Jerusalem_District.html)
ABU SHUKRI RESTAURANT
営業時間 8:00〜17:00
電話 +972 2-627-1538
Al wad st. Ras Salem | Next to the 6 th station of via dolarosa, Jerusalem 9710700, Israel
おいしいランチの記憶と「水戸黄門のテーマ」の記憶に取って替わられ、わたしにとってのドロローサは「諦観」ではなく「疲れたけど楽しかった」ものになった。
タッブーレ先生の旅行記
タッブーレ先生の旅行記はタッブレー先生が別行動をした際の記録です。
10月31日(水)夜、「オセロ」を見に、エルサレムシアターへ。
オンラインでチケットを購入。220シェケル、約6600円。安くはない。
開演前にシアターのカフェで夕食。メニューはヘブライ語と英語のみ。急にアラビア語がなくなる。きびきびにこやかに働くイスラエル女子がかわいくて感動。大量の生野菜を食す。
「オセロ」開演。字幕もヘブライ語しかない・・しかし、あらすじ通りに話が進んでいくので、なんとか把握。結末はおそらく違った。オテロは死ななかったような・・夢落ちか?!気軽に芝居をみているかんじの観客たち。開演中は笑い声がたくさん、電話もなっていた。