アラビア語「塾」30周年記念パレスティナ巡礼紀行
2018年10月29日(月)- 4日目
執筆:テル
ジェリコ(誘惑の山)、ヒシャーム宮殿、死海、ナビー・ムーサー
ツアー旅行に慣れていないせいか、昨日の観光だけですでに3日くらい費やしたような心持。
この日訪れたのはジェリコ。
誘惑の山、死海、檜先生のご厚意で急遽決まったヒシャームパレス、ナビームーサーと回りました。
ジェリコの町を散策する時間のなかったことが残念です。
誘惑の山は、イエス・キリストが40日間にわたって、悪魔から誘惑を受けたといわれる場所。その中腹に誘惑の修道院があります。
誘惑の山へ行くのにロープウェーがあるのですから、便利です。お団子のように三つのゴンドラが一塊になって動くユニークなものでした。しかし、便利になったようでやはり厳しい場所であることを実感する出来事もありました。
聖地巡礼に来ている人々の優しさをもう少し感じたい気もしましたが、厳しさの中に身を置くことも巡礼で味わうべきことの一つなのかとも思い、宗教的には部外者である私が意見をさしはさむ場ではないと、思考を止めました。
修道士の生活の中に、文明の利器は十分行き渡っていました。私室のドアが閉じている限り、それを目にすることはなく、昔の姿に思いを馳せていると、ちらっと覗き見た部屋の中には冷蔵庫あり、電子レンジありで、そこでの生活になんの不便さもないように見えました。
修道士は、現代生活の誘惑がいっぱいの中で、精神的厳しさを追及しているのかもしれません。
時の流れを感じつつも、誘惑の山の本質は変わっていないと感じさせてくれる場所でした。
国際色豊かな学食を彷彿とさせるレストランで昼食をとったあと、死海で浮遊。
死海のほぼ北端に、設備の整った立派なスパリゾートが。値段も立派。
こんなところにビーチがあるとは知りませんでした。ビーチの北側は真っ白で塩田のようになっていました。
ロープで囲った立ち入りが許可された場所は思ったより小さく、こじんまりして、なんともかわいらしい感じを受けました。
海の向こうはヨルダンです。ちょうど真向いの場所から少し南に下ったあたりから、5つ星ホテルのプライベートビーチが続き、さらに南へ南へと建設ラッシュが続いています。
死海は、3か国の観光収入の大きな部分を占めていますが、水は減るばかりです。ガリラヤ湖からの取水量、死海へ流れ込んでいた川からの取水量が増えて、死海に流れ込まなくなっている上、死海の水そのものを工業用水として大量に使っています。
なんとかこの状況を打開したいと対策を論じてはいても、複雑な国家問題がそれを阻んで思うように行かないようです。
バスで移動の道すがら、分離壁はないが、チェックポイントがあったり、「ここはイスラエルが統治しているところ」「イスラエル入植地」と次々に説明されたりしましたが、それがあまりに細かく入り組んでいて、混乱しました。何がどうなって、どこがどうなっているのか、わからないというのが正直なところです。
そのような中、死海で目にした一つの光景が心を和ませてくれました。
死海に身を任せ、ファティマの手(ユダヤ教ではミリアムの手というらしい)を掲げつつ、痛みに耐え、一心に神に祈りをささげる姿(と見えただけだとしても、また理由はなんであれ)です。
ヒシャームパレスは、今、大浴場保護シェルターの建設が進んでおり、塀に囲われていて、モザイクのほとんどを見ることはできませんでした。
あの有名な生命の木も。
でも、ひとつだけ公開されていて、それはそれは素晴らしいものでした。他のモザイクがどれほどのものかは推して知るべし、というところでしょう。
完成した暁には、ぜひ訪れたいと思います。そして、ジェリコの町をのんびり歩いてみたいです。
タッブーレ先生の旅行記
こちらはタッブレー先生が別行動をした際の記録です。
早朝、タクシーでベツレヘム周辺の壁の絵を見に行く。ベツレヘムのバスターミナル付近で出会った運転手さんとともに、まずはバンクシーの「防弾チョッキを着た鳩」。思ったよりも大きい。
次にバンクシーの「少女と兵士」へ。壁の所有者の方は、現在は壁のすぐ横にお店をオープンさせて、お土産物やバンクシーグッツを売っている。朝、6:30でもお店を開けていてくれてよかった。
道中、「パレスチナの鍵」をくぐる。平和の鍵。
長い分離壁が続くところへ。ゴミ置き場の前である。
獣の骨や毛、そのほかの廃棄物の山を登って、壁の近くへ。踏んではいけないものをたくさん踏んだかも。監視塔も近くに見える。
壁沿いに歩いていると、有名な絵が見えてきた。なんとか全景が見える場所へ。壁は果てしなく続いている。
ベイト・サフールにあるバンクシーの「花束を投げる男」へ。ガソリンスタンドの壁に書かれている。
バンクシーの「ハートをまく天使」。
8:00にホテルを出発するので、急いで戻る。