アラビア語「塾」30周年記念パレスティナ巡礼紀行
2018年11月1日(月)- 7日目
執筆:ジュンディー
エルサレム 2日目
本日はエルサレム観光の2日目。アメリカンコロニーホテルの贅沢な部屋で休んだおかげで、前日オリーブ山から始まる長距離を歩いた疲れはかなり回復。日程表によると、今日は「鞭打ちの教会、エッケ・ホモ教会、贖いの教会、嘆きの壁、マリア永眠教会、ダビデ王の墓など」となっているが、最初の2つは前日に行ったのでスキップして、自由行動の時間を確保できることを期待。
神殿の丘
園の墓(the Tomb of Garden)
今日のメインイベントが終了。昼食の時間まで30分程度フリータイムとなった。他の方々は市場に買い物に行くようだが、私は近くの「園の墓(the Tomb of Garden)」へ。ダマスカス門から徒歩約5分。イエスが磔刑にかけられたゴルゴタの丘の真の場所は現在の聖墳墓教会ではなく、ここであるとの異説がある場所で、その象徴となった「しゃれこうべ(『ゴルゴタ』の意味)」に見える断崖」を見学。入場無料、日本語の案内書が用意されており、比較的静かな庭園である点も好印象を持った。肝心の「しゃれこうべ」は、鼻の部分が崩れてなくなり、単なる穴と化していた。
昼食は、ダマスカス門の北にあるパレスチナ料理店で、伝統料理を食す。パレスチナで唯一女性が経営するレストランとのことで、地元民も「お袋の味」を求めて訪れるらしい。ラム肉の煮込みがおいしかった。ドリンク、チップ込みで70シェケルくらいだったと記憶。
その後は自由行動。ダビデ王の墓などを回る方々もいたが、翌日以降はシャバトの影響で観光しにくくなる「弾薬の丘」を見に行くため、私は別行動。今日で最後となるサラーハさんに別れを告げ、まずは近くのロックフェラー博物館へ。(サラーハさん、親切にガイドしていただきありがとうございました。大変興味深く、勉強になりましたこと、この場を借りて御礼申し上げます。)
ロックフェラー博物館
閉館時間である15時まで見学し、最終目的地「弾薬の丘」へ向かう。公共交通機関もあるが10分程度しか変わらず、切符購入の手間、運賃がかかること等を考慮し、約2kmの道のりを徒歩で向かう。途中、パレスチナの商店街をぬけ、アメリカンコロニーホテルのそばを通り過ぎて少したつと、急に高層建築物や公園などの見える、すっきりした町並みになる。15時40分頃到着。
弾薬の丘
15~20分程度のビデオの内容も、その苦戦の状況を当時の兵隊の回想映像で再現してくれるものであった。当然のことながらイスラエル側の視点に立った展示で、一言で言えば「大変な苦労をしたが、最後には我々が勝った」という内容であったが、映像や展示の中で、敵方のヨルダン軍についても非常に勇猛果敢に戦ったという記述がなされており、バランスがとれているように思われ、好感が持てた。
ホテルに帰還
見学を終え、17時過ぎにホテルに到着。同行者有志でホテルのレストランで夕食。190シェケルを費やした高い食事であったが、味は文句なくおいしかったので、たまには社会勉強も必要と自分に言い聞かせ、就寝。ついに7日目も終了し、ツアーも残りわずかとなった。
謝辞
檜先生、私のような未熟者にもツアーに参加する機会をいただき、ありがとうございました。少しではありましたが、アラビア語も実際に使うことができ、また上記以外にもたくさんの経験をさせていただき、見識を広げることができたと思っております。また次の機会にもご一緒させていただければ幸いです。
タッブーレ先生の旅行記
タッブーレ先生の旅行記はタッブレー先生が別行動をした際の記録です。
昼食後、ガイドのサラーハ君と見学再開。
ダマスカス門から入って、イスラム地区を抜けてユダヤ地区へ。境界線を越えると別世界。衝撃。ゴミも落ちていない。道がきれい。マカロンショップもあった。
聖マリア永眠教会へ。
最後の晩餐の部屋へ。あとから作ったのかミフラーブがある。
ダビデ王の墓へ。男女別にお祈りに。
トラムに乗って、ヤド・ヴァシム博物館へ。トラムは一回、5.9シェキル。
ヤド・ヴァシム博物館の最寄り駅のヘルツルの丘で下車。無料シャトルバスで博物館へ。博物館の入場料は無料。荷物を預けていざ見学。混んでいる。
夕食は、アルメニア料理を食べにレストランARMENIAN TAVERNへ。人気店なのか満席。美味しい。糸でつながったなぞのブドウのデザートも試食。不思議な味。
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