アラビア語「塾」

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アラビア語「塾」30周年パレスティナ巡礼紀行(その7)

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アラビア語「塾」30周年記念パレスティナ巡礼紀行

2018年10月30日(月)- 5日目
執筆:時間守れないADHD先生

古都ナブルス(思い入れ編)

 

2018 年の「塾」修学旅行はパレスチナ!ということでご同行したいと望んでおりましたが、お財布や日程の都合でご一緒できませんでした。同時期、西岸地区にいた「時間守れないADHD」という塾生がナブルスのとりとめもない事柄を書かせていただきます。日本の方が殆どいないナブルスの旧市街で檜先生にお声をかけていただき、めでたくクナーファにもありついたのでした。

ナブルス=小ダマスカス: 古い都市

ナブルスというのは世界でもっとも古い街の一つだとナブルスっ子は自慢します。一番古い都市があったのはジェリコ近辺ですが、現在も人が住んでいる都市ではダマスカスが最古、エルサレムより古いか、などとナブルスっ子に聞いてはいけないのです。聖書に出てくるサマリア人が住む由緒正しい古い町*は、谷底に沿って細長く発達し、ダマスカスに似た景観を持つことから小ダマスカス(Dimashq Sugraa)と呼ばれることもあります。ダマスカスは北側の山に明かりが灯り、東洋の真珠などとアラブは申しますが、ナブルスも急峻な坂の町灯りに囲まれ美しい夜を楽しめます。

*イスラエル人はナブルスを旧約聖書時代のシェケムという名で呼びます。正確には現在のスカルと呼ばれるナブルスの町はずれのヤコブの井戸(ヤコブの泉:B’ir Yaqub)のある場所が本来のシェケムです。聖書に出てくるヤコブが滞在した地の井戸は現在も清潔な軟水が飲め、古くから人々が住み着いた地域であることは間違いありません。

パレスチナで一番食べ物がおいしい商業の町

パレスチナ一、とナブルスっ子は言うようですが、交易の中心地というのは確かに食べ物がおいしいで。シリアではダマスカスよりアレッポの方が食べ物がおいしいのですが、それは商業の中心地ということで多様な人が都市に吸い寄せられるためではないかと思います。ナブルスも商業の中心地らしく旧市街はこれでもかというほど呼び込みの声が高く響きます。商業の街は舌が肥えた商人の美味しい食事があります。ナブルスで有名なのはお菓子、それもクナーファというチーズが入っているものではないかと思います。一番有名なのは、ナースル・モスク近くのアル=アクサーという店です。ここは焼きたて熱々を適当に切り分けて「一皿」、オレンジシロップはかけ放題、お茶やコーヒーは出さずに水を飲むのみ、店内の座席は少ないので合席あたり前のお店ですがいつも混んでいます。

お菓子以外でよく立ち食いされているのはピザによく似たスフィーハなど小麦を使ったピザのようなものが美味です。スフィーハにはザアタルがかかっているもの、ピリッと辛いひき肉や各種チーズが載せられているものなど様々な種類があります。ナブルス名物は、ひき肉スフィーハを焼き直したような生地の回りがカリッとしているアラーイス(お婿さん(アリース)の複数形)というものです。パレスチナの他の都市ではあまり見たことがありませんが、ナブルスでは仕事の合間などに熱々を商人たちはほおばっています。こよなく食を愛するアラブの人々が、手作りで出来立ての物を買って食べるのは美味しいだけでなく体にも良いはずです。ナブルスっ子がその都度買う出来立てのパンと近所で手作りの惣菜などは作り手の顔が見えて安心、確かな品質を選ぶ人々の生き方が凝縮されているいると感じます。

真面目さ: 昔気質のムスリムの町

ナブルスの良さは、食やその古さにだけあるわけではありません。本腰を入れてナブルスをほめるとしたら、それは人々の純朴さ、真面目さではないかと思います。エルサレムのように観光客慣れしていないためか外国人に対する笑顔の挨拶や真の親切は特徴的です。ナブルスはムスリムが多く、町の教会は正教会とカソリックの小さい教会があるのみで人口比も少数派です。ムスリムが圧倒的多数派の町で人々は生真面目にムスリムの風習を異教徒にも強いるのかと思いましたが、少し事情は違いました。服装や見かけで冷やかされたりすることはなく、庇護の対象として丁重に扱う風習の方が印象に残りました。

ナブルスの旧市街は、大通り以外は階段や坂道があって迷いやすく、道を聞くと10 代にならないくらいの男子をつけてくれます。時間があれば聞かれた本人が案内してくれることはあってもバクシーシなど取らず、目的が果たされたことを少し離れて確認して帰るなど、異質で「弱い(一般的には)」女性に対する礼儀が守られているのがナブルスの旧市街です。旧市街では街区の人々がみな顔見知りでもありますが、住人は異質な少数派にも気を配ります。うっかり筆者が夕暮れの買い物前に子猫と戯れていたことがありました。夕暮れ後の旧市街では、都会のラーマッラーと違い、日没後ナブルスの女性は一人で歩いたりしません。仕事終わりの青年たちが質問しつつ筆者を取り巻きはじめると、地階に住んでいた住人が、この通りは彼女の家の通りだから取り囲んでいる青年たちはどくよう、叱りつけました。こうした関わりはおせっかいで煩わしいようにも思いますが、失礼にならずに立ち去りたかった筆者には大変ありがたい出来事でした。

少し昔気質な関わり合いは、ナブルスが商業都市だったこととも関係しているように思います。見知った人とのつながりを基礎に、異質な者にも自らの掟としてのモラルを保ち続ける態度はアラブの都市で時折見かけたことはありました。ナブルスは、自分たちとは違う人々を受け入れるムスリムの町の長所の一つを保持し続けていると思います。

北部パレスチナ:商業中心地としてのナブルス

ダマスカスに似ていると言われるナブルス、実はオスマン帝国時代末期のムハーファザ(県)がエルサレムとは違い、パレスチナ北部の行政区でした。地中海沿岸部の港湾都市ヤッファやガザの前哨地、山間部のナブルスは今も交易地です。エルサレムは確かにパレスチナのある種の中心地ではありますが、オスマン帝国期にも聖地として特別行政区になったように、特殊な事情で人が集う場所であったのに対し、ナブルスは19 世紀から急速に近代化が進む前は一大商業都市だったのです。オスマン帝国の近代化立ち遅れの事情を反映して徐々に外国資本が入って衰退しましたが、その隊商宿は近年修復されてホテルとなってその大きさを実感できます。また、モスクのすぐ隣にオスマン帝国から寄贈された時計塔は、帝国が北部パレスチナを管理しその手中に収めておく努力、官吏を派遣した名残でもあります。

Bishara Doumani という学者がRediscovering Palestine: Merchants and Peasants inJabal Nablus, 1700–1900 という本を書いたのは1996 年、まだパレスチナの歴史が見直され始め、アラブ出身の学者を中心に委任統治期の歴史を書き換えていた頃にナブルスの重要性を指摘しました。Doumani によれば、ダマスカスの物資がパレスチナ各地に運ばれる拠点となったのもナブルスでした。日本ではアレッポ石鹸が有名ですが、ナブルスの石鹸はあの大英帝国のエリザベス女王が使用した事でも有名で当時の石鹸としては最高品質だったのです。石鹸工場は一番多い1850 年代には90 以上もあり、農民の冬季の職場として機能し、現在は有名な観光客向けのもの以外にも旧市街には2-3 残っていますが、何れも老朽化して後継者も少ないため次々と閉鎖しましたが、周りに広がる農地も豊かでゴマやオリーブなど輸出できるほどの作物をえて農民の暮らしも豊かだったのでした。

今では、少し本を読めばパレスチナの歴史が「民なき土地」ではなく、ユダヤ人が入植する前から暮らしていた人々がいたことは明らかです。それでも、パレスチナのオスマン帝国期の生活は重税に苦しむ遅れた農民の立場にあって、独立して自由を勝ち得ようとしたという、ナショナリストの語りに沿った誤認は払拭されていない気がします。パレスチナを豊かにしていたのは巡礼地エルサレムではなく、農業と一体となって発展してきた商業、そしてナブルス商人のネットワークは東アラブ全体に張り巡らされ、世界に広がっていたことは、一次資料に基づいたDoumani の著作を読むと明らかになるのです。

むすびにかえて

ナブルスで色々と思ったことを書きましたら、長くなってしまいました。観光する場所はあまりなく、滞在する人も足早に去っていくナブルス。オスマン帝国時代からの公衆浴場が残っていたり、名家の家が残されているなど他にも魅力は色々あります。由緒正しい美食の古都は、パレスチナの繁栄の影を残しまた訪れたい気にさせてくれる町です。

 

6日目:エルサレム初日→

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